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2011年5月30日月曜日

神さまの水、満月のお茶。――羽間農園で茶摘みを体験する。

五月といえば新茶の季節。絶好の快晴の日和、大和高原、都祁にある羽間農園で紅茶のお茶摘みを体験した。
農薬や肥料を使わず、健やかに育てられた茶の木で作る極上の紅茶。完成まで四十八時間、紅茶作りの前半戦。


 奈良県北東部、大和高原に位置する都祁(つげ)地域。標高五百メートルの高地だ。盆地ではジリジリとした初夏の暑さが、ここに来るとフッと涼しい。山あいの気候が茶作りに向くとして、大和茶の生産が盛んに行われている。雄大な平野が広がる奈良盆地とはうってかわって、なだらかな丘陵と、ポコポコと飛び出した小さな山が続く。山肌には茶畑が這い、昔ながらの家並と水田の広がる風景は、どことなく日本の原風景を思わせる。とりわけ印象的なのが都介野岳(つげのだけ)。整った三角形をした美しい小さな山だ。ここ都祁の象徴とされる山、水の神さまと言われる山だ。羽間さんの農園はその都介野岳のふもと、山からの水がいちばんに流れ込むところにある。


 羽間農園は、羽間さんご兄妹の営む農園だ。農の道に邁進する兄に妹が加わって、農園が始まった。農園のメインは米と茶。茶畑ははじめ六年ほど耕作の放棄されていた畑だった。当時の茶の木は背丈よりも大きく伸びて〈茶の木のジャングル〉のようだったと言う。畝と畝のあいだにも木がはびこって入れない。その〈ジャングル〉を開墾して切りそろえるところからスタートし、茶畑は始まった。
刈りそろえられた茶畑。新芽の緑が美しい。

 羽間さんの農園では農薬も肥料を使っていない。自然に近いやり方で栽培を行っている。羽間さんは農業を学ぶため、四十七都道府県、すべて訪れたと言う。各地のやり方を学び、いまの土地にあったやり方を模索しつつ取り入れている。無農薬・無肥料で行う農法には〈自然農〉〈自然栽培〉といった様々な呼び名がつけられている。けれど羽間さんは自分の農業を特別な名前でなく〈できるだけ自然に近い農法〉とそんなふうに言う。いろいろなやり方がお互いを認めあっていければ、と羽間さんは笑う。穏やかな口ぶりと優しい笑顔。それぞれの違いを尊重する考え方。羽間さんは水の人なのだと思う。さまざまな存在を溶かし込んで受け入れる。そんな羽間さんが最後にたどりついたのは、水の神さまに見守られた田んぼと茶畑だった。
 自然に近いやり方で育てられた茶畑では、自分の枝葉も養分になる。落ち葉や刈った枝葉は畝と畝の間に敷く。枯れた枝葉はだんだんと朽ちていって、最後には土に変わる。地面を少し掘ってみると、枯れた枝葉、朽ちた枝葉、柔らかな土と徐々に変わっていくのが分かる。フカフカとした柔らかな土。この土が羽間さんの茶畑の命だ。

朽ちた枝葉は触るとモロモロと崩れる。土はふかふかと柔らかい。

 数ある栽培植物でも、茶は大量に農薬と肥料を使うのだそうだ。〈お茶は農薬のだし〉とそんなふうに書かれていたのを読んだ記憶がある。お茶は新芽を収穫する。成長を促すために、大量の肥料を与える。そうするとバランスが崩れて虫が湧いたり病気になる。だから大量の農薬を投入する。明らかに不健全な連鎖だ。けれど、羽間さんの茶畑を見ていると、そんなことが嘘のように思える。茶はもともと強い木だという。茶の木の野生に少しだけ人間が手を貸した羽間さんの茶畑では、生き生きとした力強い木が育っていた。
 茶摘みといえば八十八夜の五月二日。けれどここ都祁では一週間ほど遅く、五月半ばが茶摘みの時期になる。そして今夜は満月だ。満月の時、新芽にはいちばんの力が満ちるという。茶摘みには絶好の日和だ。
 茶畑には羽間さん兄妹、ご両親、八十九歳になるお祖母さんがそろっていた。今日は羽間さん一家の茶摘みの日。新茶の季節、家族で茶摘みをするのが毎年の恒例なのだそうだ。販売するためでなく、家族で飲む茶を作るため。手摘みのお茶は販売されていない。それだけ貴重なお茶である。今日摘むのは〈さやまかおり〉。日本茶の品種を紅茶に加工する。さやまかおりはまだ開墾されていない畑だった。人の背よりも高く伸びた茶の新芽を、ひとつひとつ摘んでいく。新芽の目安は〈一芯二葉〉。まだ葉を開いていない芯が一つと、柔らかな葉を二つ。つけ根に爪をたてると簡単にぽろりと落ちる。それほどに柔らかな芽。透き通るような淡いみどりが美しい。五月の澄んだ光が木に当たると、新芽だけが日に透けて、ちらちらと目に焼きついた。葉に守られた新芽の影。その息吹を私たちはいただく。
一芯二葉、ここで摘む。

まだ刈りそろえられていない茶畑の間に分け入る。

 山あいの茶畑からは茶の木と山しか見えない。ウグイスやホトトギスの声。蛙や虫の澄んだ鳴き声。山の裾野の工場の音。山の向こうの学校のチャイム。午前中に一時間、午後に二時間、ひたすら茶の新芽を追いかけた。


 合計で三時間、集中して摘み続けても、手かごいっぱいにもならない。一キロどころか数百グラム。全員を合わせてもほんの数キロ。お茶にするとかさは五分の一に減る。大切な大切な手摘みのお茶だ。
 摘んだ茶葉をざるに広げて少し置くと、それだけでも、茶葉からは甘い香りが立ち上った。これを一晩、陰干しにして発酵させる。これを一晩乾燥させ、明日手でしっかりもんで、細胞を壊してやると発酵が次に進み、果物のような香りがしはじめる。フルーティーな香りはどんどん強くなるが、ピークを境に弱まっていく。最高の状態で止めるのが腕の見せ所だ。あとは茶葉を乾燥させれば紅茶の出来上がりだ。


 今日の作業は茶葉を陰干しにしたところで終了。今夜一晩、ゆっくりと発酵するのを待つ。今夜は満月。満ちた月の白い光が都介野岳の水で育った茶葉に降り注ぐだろう。神さまの水と月光に満たされた茶葉の味はどんなふうなのか。紅茶の出来上がりが楽しみだ。




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